マテルネ チェリーコンポート
散歩の日々。散歩に出るとついスーパ・ーマーケットに寄ってしまう。ちょっと足を伸ばせばいつもと違う店にいけるから尚更だ。商品を眼の前にすると有り金を全部使ってしまうから限られた分しか持ってはいけない。お金を使いたくないなら部屋から一歩も出るべきではない。ちょうどメープル・シロップを切らしたところだったので何かパンに塗るものはないかと物色する。瓶詰めの棚を見て回るのは楽しい。Saleという赤い文字が輝いていればますます楽しい。非常識な価格の瓶は無視して美味しそうなラベルを探す。マテルネのチェリーコンポートを買って帰る。部屋に戻って手洗いとうがいを済ませてさっそく味見。小さじにすくって口に運ぶ。うー、酸っぱい。しかし、甘過ぎずとてもいい。昨日までは、トーストにバターを塗ったあと半熟に茹でた鶏卵を潰して乗せメープル・シロップをかけて食べていたのだが、次からは卵は別にして食べた方が良さそうだ。勢い余って高価な食パンを買ってしまったがたまにはいいかもしれない。
成分表に砂糖の記載があるかどうかやはりチェックしてしまう。最近のラベルには低カロリーとかカロリー・ゼロとかの見出しが踊る。見出しにはトレンドがある。僕が子供の頃にそれまで食品に常用されていたチクロという甘味料に発がん性があるとかで使用禁止になり、瓶詰めはこぞって全糖とうたった。とにかく風評被害ではないが人工甘味料はすべて敵、砂糖以外は使ってませんという訳だ。しかし全糖時代も長くは続かず人々がダイエットに気をつかうようになると次第に砂糖の量を減らしていくことになる。低糖、微糖なる文字が人気を博す。今でこそ微糖といえば本当に微糖だが、初期の頃はこれのどこがと疑いたくなるような甘ーいモノが多かった。それもそのばず健康志向はお題目に過ぎず自販機の飲み物なども甘くなければ売れない時代だった。そりゃ甘くないより甘い方がいいに決まっている。あるとき無糖の缶紅茶を飲んだ。これが妙に甘い。成分表を見ると筆頭に得体の知れない物質の表記がある。缶紅茶の中に紅茶よりもたくさん入っているものって・・・。これは甘味料なのだろうか。いいようのない恐怖に襲われた。
チェリーといえば、シロップにつけ込んでない生のサクランボを初めて食べた時は感動した。サクランボは生では苦くて食べられないのだと思っていた。大人の味がした。アメリカン・チェリーも甘くて好きだ。サクランボのひも(?)を口の中で舌を使って駒結びにできるヒトはキスが上手いなどという迷信を信じて一生懸命練習したものだ。デビット・リンチ監督のテレビ・シリーズ、ツイン・ピークス('90-91)に出てくるチェリー・パイが異様に美味しそうに見えて垂涎の的だった。ツイン・ピークスの悪魔的な風景がチェリーと反応してイチゴよりさらにどす黒い色彩が妖しい魅力を醸していた。チェリーはイチゴに比べると酸味が強くサッパリとした味わいが特徴、イチゴがウナギならチェリーはドジョウなのだ。イチゴはやはり生がいいな。ウナギは蒲焼きだ。ああ~鰻丼食いてえ~。しかしイチゴを冷蔵庫に入れると全体に腐敗臭が蔓延して困る。あれは何とかならないのだろうか。練乳のかかったイチゴもいいな。牛乳に浸したイチゴもいい。イチゴミルクを作ろうとスプーンの背で果肉を潰していて手元が狂い、イチゴがビューンとどこかへ飛んでいってよく親に叱られたものだ。
散歩の途中につい最近まで借りていた月極駐車場がある。マークⅡを処分したので解約したのだ。空きあり〼の掛け札が。以前付き合っていた彼女が恋人募集中のプラカードを首からさげて歩いているのを見るようで何だか寂しい。仕事中に近くを通りかかっても駐車場がないと営業車を停められないから部屋に寄ることができない。部屋が前より遠くなったような気がする。もう一度引っ越しをしたみたいな気分だ。僕の仕事中にイチローが連続ホームランを打った。そのVTRを見るのをどんなに楽しみにして家へ帰ったことだろう。ところが、民主党の選挙のニュースで野球中継は途中で打ち切りでイチローのホームランは写ってない。夜遅く再放送したというがこっちはそんなの知ったことじゃない。しかもMLBハイライトもその日に限って裏番組のウディ・アレンの世界中がアイ・ラヴ・ユー ('97)のエア・チェックで録れておらず、散々だった。みんなもう一人のイチローが悪いのだ。いっておくけど、どこの政党の誰が党首になろうともこの国の政治はこれっぽっちも良くなりっこない。こんな状況の中でさえ、持っている一票の権利を放棄してはならないなんて正論を押しつけられて、庶民というのはなんて悲しい生き物なんだろう。
うー、酸っぱ。
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