痕跡という日誌(4)

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ついに、こんなところまで来てしまったのかと、初めてその自動車工場に足を踏み入れた時、彼はそう思った。彼には、いくつか工場経験があったが、ここはその終着地点のように思えた。自分がポンコツの機関車かなにかになったような気がした。
眼に見えるものなら何であれ比較的短時間で絵に描くことができるという自負があったが、ここは当てはまらない。あまりにも巨大であり、それ以上に彼にとっては極めて漠然とした空間だった。どこを見渡してもそれをフレームに区切ることができなかった。どこから描いたらいいか分からなかったし、それを見つけようとする意欲はすぐに萎えてしまった。
派遣初日からできる仕事は、そう多くない。ガイダンスを受けた後はひたすら回収された部品の空箱をトラック・ターミナルへ運び続けた。そこは、打ち捨てられた裏庭のような場所でメーカー別になった空箱がうず高く積みあげられていた。
前日に降った雨がその中に溜っていて彼は何度もそれを頭からかぶりそうになった。私服にヘルメットの一団とすれちがう。見学の行列はつい昨日までの彼だ。彼らは彼と同じようにここに入所して来るのだろう。
新しく支給された安全靴は合わず、一日が終わる頃には足に激痛が走った。ロッカー・ルームで手を洗おうとすると爪の中は油で真っ黒になっていた。明日からは、新しい靴の替わりに使い古して穴の空いた安全靴を履こうと決めた。なんとしてもここに馴染まなければ、と思った。

その日、彼は痕跡という唄を知らなかった。それはまだ、空のずっと上の方にあった。

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